二極化ブログ

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平成生まれなので僕も僕の見てきたインターネットの世界書きたい!

平成生まれの僕が見てきたインターネットの世界 - ぐるりみち。

こんな記事があって僕も平成生まれでノスタルジックになったので軌跡書きたい!

ちなみに平成元年生まれです。

 

はじめてのパソコン

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正直、いつだったか覚えていない。でもたしか2000年問題云々言われているころに買ったのと、カービィ64の攻略を見ていたような気がするので2000年4月頃だったでしょうか。

ところどころ青く着色された、透明ケースに入った一体型PC。うちに来たのはWindows98でした。いかにもエレクトロニックっぽくて、これがパソコンかー、と当時は思っていましたが今みるとキモい。

インターネットに接続して、父と一緒にMSNのトップページを見ていました。

 

はじめてのコミュニケーション

はじめてインターネットに触れてから誰かとコミュニケーションを取ったのはかなり早い段階でした。

当時はゲームが好きだったので、MSNのトップページから「ゲーム」のリンクをたどって、星のカービィ64の攻略掲示板みたいなサイトにたどり着きました。

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そこで「○-○のステージにあるクリスタルの取り方教えてー」って書き込んでいる人がいたので、私は父に「あ!これの取り方知ってる!」っていうと、父は「じゃあ教えてあげようか」と言って返信の準備をしてくれました。

私は当時文字を打つことができなかったので、父に代筆してもらうことにしました。返信の内容はこんな感じでした。

「スパークストーンでとれる」

あとで分かったことですが、そのステージはスパークカッターが必要でした。

 

タイピングの練習

いつまでも父に打ってもらうわけにはいかなかったので、タイピングの練習をしました。タイピング練習ソフトは、ジャストシステムのタイピング練習ソフト。宇宙船めがけて飛んでくる隕石に書いてある文字を打って、破壊していったり、上からふってくる宇宙人を下に落ちてこないように押し上げたり、追いかけてくるワニに食べられないように逃げ切ったりするゲームでした。

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ゲームが好きだったのでハマっちゃって、みるみるタイピングが上達しました。

小学校では群を抜いてタイピングが上手かったので、パソコンめっちゃ使える人、というイメージを植え付けられました。

 

カービィのコミュニティ

一人でネットサーフィンができるようになったので、当時好きだったカービィを検索しました。(ひかわ博一先生の「星のカービィデデデでプププなものがたり」の愛読者でした)

ちなみにこの「カービィ」の文字のおかげで「」の入力方法は早めに取得しました。l派の私としてはそのときにxでの入力方法を知らなくて良かったなと思います。

話がそれましたが、当時の個人サイトのコンテンツといえば、まず「掲示板」、それも用途に分けて複数ありました。そして「チャット」。あとはイラストだったりMIDIだったり自作のSSだったり、ブラウザゲームファイナルファンタジーアドベンチャー、Script of Saga、World Wide Adventure)などがありました。

私がいつも通っていたカービィのファンサイトでは、掲示板で交流したり、ブラウザゲームをしたりしてコミュニケーションを取っていました。みんな私より年上の人が多く(といっても、中学生)、バカな自分にも親切に接してくれました。

いろんな個人ホームページによく見られたのが、荒らし対策の「お約束」ページ。そこには荒らし行為がいかに良くないことか、もし荒らしたらどうなるかといったことが書かれていました。私がインターネットのマナーを身につけたのはそういったページに触れたことでした。

 

 

ブラウザゲームとME

ゲームが好きだったのでブラウザゲームにもはまっていました。

ブラウザゲームをまとめたサイトをお気に入りに登録して、日々、面白いゲームはないかと探し求めていました。

そんな中、父がパソコンにWindowsMEを導入しました。詳しい話は聞かなかったのですが、新しいヤツだからいいもの、ということだったので心躍りました。

しかし導入してからというもの、やたらPCがフリーズしまくる。

父に「めっちゃパソコン止まる~」って泣きつくと、すぐに98に戻してくれました。

 

FLASH

まわりの友達もちらほらとパソコンをするようになり、フラッシュ動画の話題がちらほらの上がるようになってきました。

ペリーが「開国してくださいよぉ」っていうフラッシュとか、「ちんこ音頭」とか「しぃの歌」とか流行りましたね。

ちなみに私はBUMP OF CHICKENのKのフラッシュを見て、BUMP OF CHICKENのファンになりました。当時音楽に興味のなかった私ですが、このとき初めてBUMP OF CHICKENの「jupiter」というアルバムを購入したのを覚えています。

 

コミュニティの閉鎖

昔から通っていたカービィのファンサイトの管理人が「高校受験」のためサイトを閉鎖するという事件が起こりました。毎日楽しみにしていたコミュニティがなくなり、私は新しいコミュニティを探すこともなく途方に暮れていました。

そんなとき、私は以前から考えていたことに本格的に取り組もうと思い立ちました。それが、ホームページ作成でした。

父に、「ホームページ作りたい!」と言って、「ホームページ制作王2003」というソフトを買ってきてもらいました。今2002年なのに2003ってどういうこっちゃねん、と心の中で突っ込んでいた記憶があります。

もちろん、当時はサーバーという概念なんて知るよしもなかったので、「え、なんかおかしい」と気づくのに時間はかかりませんでした。

 

ホームページ作成

ホームページを作るには、iswebに登録してHTMLっていうファイルをアップロードしなきゃならない、HTMLってのは魔法の言葉なんだよ~、って書いてあるようなサイトを見ながらHTML直打ちでホームページを作りました。

ホームページのコンテンツを提供するために、ドット絵を描いたり、WWAのゲームを自作したり、CGIを組み込んだり、思えばこのホームページ作成が私のPCスキルをぐんと上昇させるきっかけになったと思います。

FLASHを作るために初めてヤフオクでFLASH MXというソフトを5000円で購入しましたが、それが海賊版だったと気づくのはもう少し後のことでした。

ちなみに作ったホームページはあまり人気が出ず、友達同士のコミュニティと化していました。

 

自分のパソコンとやべぇソフト

中学に入ってからのことでした。

父が新しいパソコンを買うことになり、今使っているパソコンは自分専用のパソコンになりました。やりたい放題だー!と、やりたい放題しました。

そしてそれと同時に、WinMXというやべぇソフトがあることを知りました。

なにやら、データというデータが全部無料で手に入るソフトらしく、とにかくやべぇ裏ソフトなんだと。

当時の私は「著作権」なんて言葉を知るよしもなく、配布されているソフトをどんどんダウンロードしていました。そしてそれらのソフト群の中に混じるエロワードに、思春期の私は敏感に反応してしまったのです。

若くして過激な無修正エロ動画を見てしまいました。

WinMXよりもっと便利なwinnyというソフトがある、という情報を入手してからはさらに加速しました。

当時は、アップロードは逮捕されるけど、ダウンロードは逮捕されないという話があったため、やべぇと思いつつも利用していました。

しかしそれも、winny制作者の逮捕で大騒ぎになり、P2Pソフトが下火になってくると同時に幕を閉じました。

その後、一度友達にエロ動画フォルダを見られた時に嫌悪感に陥り、その後のオナニーによる賢者モードの際にエロ動画を全部消しました。

そんな時期から過激な無修正エロ動画を見ていた反動か、今では立派な草食系男子になりました。

 

2chまとめとニコニコ動画

FLASH全盛期ごろから2chの存在は知っていましたがあまり利用することがありませんでした。

私が高校生になったあたりから、「2chまとめ」のサイトが頭角を現しだしてきて、それを読むのが日常になりました。2chって面白いところなんだなーという印象をもちました。

2007年には「動画にコメントが流せるサービスが出たぞ!」ということでニコニコ動画が話題に上がりました。

 

進路

小さい頃からインターネットに触れていて、周りからもパソコンマニアと噂された私は次第に「あれ?俺ってパソコンを仕事にすればよくね?」と思うようになってきました。

勉強はあまりできる方ではなかったし学歴にこだわりもなかったので、大学はF欄の情報系の大学に進学しました。

卒業後は会社の下で働くのが嫌だったので、フリーランスのWebエンジニアになり、今に至ります。

今の子どもたちは私よりももっと早くにインターネットに触れ、いろいろなことを学ぶ機会も得られることを考えると、私なんかのレベルはすぐに追いつかれるんだろうなと思います。

 

これからのインターネット

私が年をとっていくにつれて、インターネットの世界は変化していきました。

というよりも、私が成長していくにつれて、その年代にあった居場所を誰かが提供してくれているかのようでした。

私は、自分自身がインターネットの世界を切り開いていくねくすとじぇねれーしょんだと錯覚していましたが、それはただ、先人の多くが歩いてできた轍を踏んでいただけだったのです。

これからは数多くのチャレンジャーによって、新しい轍が作られていくと思います。また、すでにできた歩きやすい轍は舗装され、より歩きやすい道となって若い世代の人を導いていくでしょう。

しまいには高速道路や新幹線ができて、すごく便利になっていくと思います。また、危険な場所には立ち入り禁止の巨大なフェンスが貼られ、シートベルトやヘルメットの着用を義務づけられるようになるでしょう。そのころには「昔の人は徒歩でこの広いインターネットの世界を歩いていたんだってー、信じられなーい」という発言が飛び交うことでしょう。

私は言います。「徒歩だとゆっくり周りの景色を見ることができるし、足腰も鍛えられていいんだよ」と。

そしたら私よりも若い世代の人が「景色なんてGoogleマップで見られるし、足腰を鍛えるにはもっと良い方法があるって、このまとめに書いてあるよ」って言うんです。

そんな変化を、私はこれからのインターネットの世界で目の当たりにできたら面白いだろうなーと思います。あわよくば、車や新幹線、はては宇宙ロケットの開発に先人を切って携われたらなぁと思います。