人生は短いか
私は今24歳なんですけど、このまま順調に生きていければだいたいあと今までの2倍の年月ぐらいは生きられるとおもうんですね。でもこれまでの24年を振り返ると、とてもとても短いようなもののように感じて、あとこれを2回繰り返せば死ぬのかーと思うと人生って非常に短いなぁと思うわけです。
人生は長いか短いか、これは人の脳の容量によると思います。
これまでの人生の1分1秒を事細かに覚えていることができれば、その人の人生はとても長い人生になることと思います。だけど普通の人にはそんなことができません。1分どころか、1日の記憶すら曖昧になっていきます。脳には、印象に残った断片的な出来事しか記憶されません。その断片的な記憶をつなげても、元の人生の長さを感じることはできないと思います。
人の脳の記憶容量には限界がありますから、それを補うために脳の外部にハードディスクドライブのような外部記憶装置をおいておき、必要に応じてそれを読み込む必要があります。それが日記だったりアルバムだったり、いわゆるライフログといわれるものです。それらに日々の出来事を記録していき、たまに読み返すことで長い人生を実感できるのではないかと思います。
私はこれまで特にライフログといわれるようなものをとっていませんでした。なので、24歳の人生がとても短く思えるのです。人生を深く味わうためにも、ライフログは必要かなと思いました。
増税前行列とSOHO
増税前に電車の定期券を買うために最長2時間待ちの行列に並ぶ人たちがいるということをニュースでやっていました。
定期券ってあんまり買ったことないのでよく分かりませんがだいたい1万円〜2万円ぐらいですかね?その価格のわずか3%、おおよそ300円〜600円を節約するために2時間待ち。時給にすればだいたい150円から300円になります。
どうなんだその節約は。割に合ってるのか。
そういえば最近SOHO、クラウドソーシングというものが流行って(?)ますが、あれも時給でいうとだいたい150円〜300円のものが多いですよね。
時給150円〜300円で仕事をするなんて労働力の安売りも甚だしいなと思っていたのですが、2時間かけて300円〜600円の節約をしたいと考えている人がいることを考えると、一定の需要があるのだなと思いました。
意識高い人と低い人。意識低い人はなぜ意識高い人を叩くか。
世の中には、能力がないくせに意識だけ高い人を「意識高い系」といって貶す人がいます。口だけは達者でやることは空回りしているのだから、貶されるのだと思いますが、じゃあなぜ意識高い人は叩かれるのでしょうか。
「意識の高さ」「能力の有無」を組み合わせ4通りのパターンを作ったときに、世間に役立つ順番に並び替えれば
1.意識が高くて能力のある人
2.意識が低くて能力のある人
3.意識が高くて能力のない人
4.意識が低くて能力のない人
になるのは反論の余地のない事実だと思います。
この順番を見れば分かるように意識の低い人は意識の高い人よりも下位に属しています。意識低くて能力のない人とか、もうやる気あんのかって感じですよね。
さて、ここで意識低い人は劣等感が芽生えます。2位の意識低くて能力ある人は、1位の意識高くて能力ある人が妬ましくてしかたありません。「くそ、オレだって能力あるのにあいつばっかり目立って!」と。意識高い人は自分アピールも上手だから意識低い人よりも目立ちます。意識低くて能力ある人は、1位の意識高くて能力ある人には適わないのです。
そうなると2位の劣等感の怒りの矛先は3位の意識高くて能力のない人に向きますよね。だって意識が低いから向上心がないんです。相手の足を引っ張ったり、出る杭を打つことに全力を注ぎますから。
「意識高いくせに能力がないなんて価値ないじゃんプゲラ!!」
そこに意識が低くて能力のない4位の人も、自分のことは棚にあげて、2位の人に便乗して3位の意識高い人を叩き始めます。意識の低い人は"自分"というものを持っていないので右へならえで便乗するのが得意ですからね。それで自尊心を保ちます。
そうなるとフルボッコにされるのが、3位の「意識が高くて能力のない人」になります。
2位と4位が3位をフルボッコにして1位は高みの見物してるの図
ここから言えることは、「意識が高くて能力のない人はフルボッコにされる」ということと、「意識が高くて能力のある人が結局は最強」ということです。あとは「意識の低い人は陰湿」ということですね。
酒、タバコ、ギャンブルをやる人は自信に満ちあふれている
酒、タバコ、ギャンブルといえばひとたびはまれば依存してしまってなかなか抜け出せないものの代名詞的存在です。
タバコだけ吸う人、酒だけ飲む人、ギャンブルだけやる人はまあしかたないかもしれないとしてこれらを2個以上やってしまってる人は自信に満ちあふれている人だなぁと思いました。
まず人が依存するメカニズムとしては、「俺は依存なんてしない」という自信からはじまると思います。タバコを初めて吸う人は、これから一生タバコを吸い続けるつもりで吸うわけではないことが多いはずです。大抵は、「すぐやめられるだろう」という気持ちで吸うはずです。しかし、いざ吸ってみると思ったよりもイイもので、また次も吸ってみようかなぁという気持ちになる。次第に身体依存によりタバコを欲する体になってしまうわけです。酒もそうです。
ギャンブルに関しては身体依存はないものの、パチンコは射幸性による精神依存を形成してしまいます。激しい音と光、たまにある大勝ちの喜び、それらを知らず知らずのうちに精神が欲してしまい、精神的に依存してしまうわけです。
さてこれら依存性の高い嗜好品について、1度手を染めてしまい後悔するということは分かります。知らなかったんだ、自分は依存なんてしないと思っていたんだと、反省することができます。しかし、2度手を染めてしまうというのはどういうことなんでしょうか。つまり、一度タバコに手を染めて依存しているくせに、また酒やギャンブルにまで依存してしまう人。
こういう人、相当自信に満ちあふれているんだと思います。
自分の人生において自信に満ちあふれている
自分の人生はこういう嗜好品で狂いはしない。人生ハッピーだ。そういう自信があるから、依存なんて気にしないのかも知れません。またそれによって不健康になったり貧乏になったりする可能性があっても、気にしないのでしょう。うまくいく自信があるから。
依存しない自信に満ちあふれている
もしかしたら自分は依存していないという自信があるのかもしれません。だから1度依存したのにもかかわらずまた依存を繰り返すのかもしれません。なぜなら依存していないと思っているのだから。依存なんて医者は言うけど医者なんて信用できない、信じられるのは俺だけだ、という自信に満ちあふれているのかもしれません。
カッコイイという自信に満ちあふれている
タバコ吸う俺、酒飲む俺、ギャンブルする俺カッコイイ、という自信に満ちあふれているのかも知れません。よそから見ればそんなことはない、むしろその逆の印象すらも抱きかねないことですが本人がカッコイイという自信に満ちあふれているのだからカッコイイのだと思います。
とまあ、そういう面で自信があるのだなあと思うわけです。
しかし本当の意味で健康的に自信がある人はおそらくそういう依存性のものに手を出したりはしないか、ある程度の時点で「ヤバい」と思ったら手を引くことのできる人だと思われます。だとすればこれらに依存してしまっている人というのは、自信がある反面、なんらかの不安も持っているという可能性もあります。その不安を隠すべく、去勢を張っているだけなのかも知れません。どちらにせよ、人間的に正しい選択ではないことは確かですから、やめた方が良いんじゃないかなと思います。
政治の話
私は政治の話に全然興味がありません。
なので興味がない側からの政治を語ってみたいと思います。
難しい
なんだか政治は難しいです。よく分からない言葉の羅列が多いです。それでいてメリットがよく分かりません。政治が好きな人も私に難しい言葉を浴びせてきて、よく分かりません。
宗教的
興味がないのに、「興味がないのは良くない」「国の未来がかかってる」「政治に興味がないなんて人生ソンしてる」「人としてダメ」とかいろいろ言って、興味を持たせようとしてくるじゃないですか。別に興味がなくてもいいと思うのに、独善的なメリットを提示して無理矢理政治の世界に取り込もうとしてくるのは宗教勧誘みたいだなあと思いました。
投票率うんぬん言うけど
興味ない人は投票しなくていいじゃん、と思います。興味のない人を無理矢理投票に連れて行ったって、右へならえの投票しかできないのだから、その方が正しい結果にはなりにくいんじゃないのかと思います。いや、それを「民意」というのならそれで正しいのかも知れませんが。投票は政治に興味があって、政治のことを分かってる人が政治のことをじっくり考えて投票したらいいじゃないですか。
日本人全員に「好きなポケモン」を選んでもらってベストポケモンを決めたらピカチュウが1位になるに決まってるじゃないですか。
世界的に見ても投票率は普通
世界と比べたって別に日本の投票率が特別低いわけじゃないですからいいじゃないですか。
そもそも低いのが民意
投票率が低いのがそもそもの民意だと思います。不景気の時に人に「お金をもっと使え」と言っても誰も使うわけないじゃないですか。「政治に興味を持て」「若者も投票に行け」そんな言葉で民意を変えられるのなら政治なんていりません。
大義名分のない独立、それがオレのスタイル(キリッ
独立、起業のブログエントリーにはなんかすごく輝いているものが多い。輝かしい独立とは遠く離れた独立を成し遂げた(遂げた?)私としては羨ましくもあり疑わしくもあるわけです。
絶対どっか盛ってるだろ!絶対心からそんなこと思ってないだろ!
なんてね?
就職が嫌だった
Fランク大学3年の冬、私は就活をしていました。「どうせ私は長い間会社にとどまれるような人間じゃないし、ベンチャー企業でちょっと働いて退職してからなんかすっか」と思っていました。
そもそも、そう思うきっかけになったのは在学中におこなう「自分探し」みたいな性格診断ですよ。ある質問に答えていったらあなたの性格と適職がまるわかり、みたいなやつ。ネットとかにもありますよねいろいろ。
それをやったら「人の下で働くようなことは向いてない」「芸術家タイプの人」「人に理解してもらえない」って出たわけですよ。
いやいや、そんなものに頼って自分の人生を決めるなんてバカげてる。私は私の道を行く。って思える自分なら性格診断の結果も変わってきたでしょうけど何を隠そう私はこういうの大好きなんですよ、性格診断。実は学校で行う以前にもいろいろな性格診断をしていて、どの性格診断を使っても「人の下で働くようなことは向いてない」「芸術家タイプの人」「人に理解してもらえない」みたいな結果が出るわけで、もう信じるっきゃないわけですよね。
そんなモラトリアム真っ最中、社会を知らないうぶな私は迷いに迷って、それでも就職はしといたほうがいいよなぁ世間体的にも、父ちゃん母ちゃんにスーツ姿見せてあげたいしなぁと思った結果就活をしたわけです。
やっぱりやめる
私が就活しているときは就職氷河期まっただ中だったのでまともな人でも何社も受けないと受からないような状況でした。ましてやまともじゃない私が受けたところで落ちるんですけれども、なにはともあれ3社受けた時点でもう諦めました。
「私のことを何もわかっちゃいない」「面接なんて嘘つき大会だ。正直者の私には分が悪い」
とか、ありがちな責任転嫁で諦めたわけです。
そりゃそうだよ、初めから中途半端な気持ちで就活したってまともな職に就けるわけないじゃないか。
芽生える就職に対する疑惑
もともとそういう性格だからか、就職に落ちたからかしらないけれど就職することに対する疑惑が芽生えてきました。
IT系はブラック多いとか、ブラック多いとか、ブラックしんどいとか、ブラックしんどいとか、そういう記事をよく目にしました。いや、自分の気持ちを正当化するためにあえてそういう記事を見つけていたのかもしれませんが今となっては分かりません。ともかく、「就職してよかったー」みたいな記事よりも「仕事しんどい」「サビ残つらい」「サザエさん見るの憂鬱」みたいな記事ばかり目にとまりました。
おいおい、じゃあなんで就職したんだよ、マゾかよ。オレは違うぜ、オレは"別の道"を歩むぜ(フッ...
みたいなね。
独立します
もうたぶんきっとあれだ、私は独立するために生まれたんだ。就職したって幸せにはなれない。ってそもそも幸せって何?(ポン酢醤油がある家?)よし、幸せ探しの旅に出よう。そのためには就職してちゃ始まらない。独立しよう。
という感じで独立しました。
起業のお誘い
そんな気持ちを知ってか知らずか、中学校時代の同級生が私に声をかけてきました。あれ、あんまり遊んだこともないしそんなに関わりもなかったのにへんだなぁーへんだなぁーこわいなーこわいなー、と思ったら(中略)一緒に起業しないかというお誘いでした。
いろいろと割愛しますが、後にこの起業は私含め5人で活動し、1年ほど続いて失敗に終わります。このときの私は特にあれがしたいという目的や希望もなく、とりあえず技術者として仲間の目標達成のためにアイデアを形にする手助けをしました。
失敗した理由なんてもはや語るに及ばずです。
語るに及んで欲しいならコメントください。(上から目線)
本当の独立、そして個人事業主に
一緒に起業した人のうち1人と一緒に個人事業を始めました。
就職に向いてない、という理由から独立。そして右往左往して今に至ります。
今の私が思うことは、
やっぱりなんか大義名分必要だわ、目標がないとなんもやる気出ないわwww
ってことです。
でもねでもね、私みたいに「とりあえず就職嫌だから」っていう理由で独立するのも全然アリだと思うのです。Fランク大学の私ですらなんとかなってるんですから、なんとかなるもんです。
ブラック企業に就職してひーこらひーこら働いて「会社やめたいよぅ」「仕事したくないよぅ」とか言ってるぐらいなら、会社作ってしまいましょう。そして、自分のやりたい仕事をしようじゃありませんか。
あ、でもいざ独立して失敗したからって私のせいにしないでくださいねマジで。
お金と人間性、どっちが大切か
みなさんはお金か人間性、どちらが重要だと思いますか。
世の中、お金があればできないことはほとんどありません。散々綺麗事を言ったって、世の中はお金で回っている事実を蔑ろにすることはできません。
おいしい食べ物も食べられるし、病気になっても医療費に困ることもないし、人を助けることもできるし、経済を明るくすることもできます。広い家も持てるし高い車も持てるしいろんな人から認めてもらえます。家庭を持っているのなら子どもへの投資もでき良い学校に行かせることもできます。
とはいえお金があればすべて得られるかというとそれも間違いで、特に内面を磨くという点においてはお金では直接的に解決することはできません。
内面、すなわち人間性のことです。
「お金持ちは性格が悪い」と耳にしたりしますが、お金持ちの人すべてが性格が悪いなんてことはありません。また、貧乏人にだって性格が悪い人はいます。
お金と人間性を持っているかどうかをそれぞれ考えると、ベストとワーストは
1位 お金持ち&人間性高い
4位 貧乏&人間性低い
となるとして、
お金持ち&人間性低い と 貧乏&人間性高い ではどちらが2位でどちらが3位なのかというのが今回の問題となります。
こんなもんは人の価値観によっていろいろあると思いますが、一応個人ブログなので自分なりの意見を挙げたいと思います。
私にとって人間性を高めるということは、生きる最大の目的だと思っています。人間性が高いということは、精神的に健康でいて、世の中をうまく渡っていくための能力を有しているということになるからです。
お金を持っていても、精神的に不健康であれば幸福感は落ちてしまいます。お金を手に入れるために精神を浪費し、人間性を低下させていけば行き着くところは結局不幸でしょう。お金だけが生き甲斐でお金がなくなったら何も残るものがないという人生は、その人をよりお金に執着させ、お金を失う恐怖で疑心暗鬼にさせます。
しかし、人間性が高ければお金を失っても高い人間性は残ります。精神的に健康であれば貧乏な状態にも耐えられるようになります。さらにその高い人間性でお金を稼ぐことも容易になるでしょう。
このことから、「どちらが1位の『お金持ち&人間性高い』に近づきやすいか」を考えると2位が自ずと決まります。
1位 お金持ち&人間性高い
2位 貧乏&人間性高い
3位 お金持ち&人間性低い
4位 貧乏&人間性低い
ということで、お金と人間性、どっちが大切かという話は、どちらかといえば人間性のほうが大事なのではないかという結論になりました。